カマンベール村へチーズ巡礼に

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パリから一番近い海はフランス北西のノルマンディー地方にあり、車で走って2時間ほどです。週末の小旅行にも手頃な距離なので海が見たくなると家族で出かけます。そして旅行中出会う豊かな郷土料理にしばしば登場する食材がこの土地の名産品カマンベールです。
(新鮮な魚介料理が嬉しい海辺レストランで食べたカマンベール入りムール貝の白ワイン蒸し。フランスならではのチーズと魚介類の組み合わせもなかなか美味なのです。)
(新鮮な魚介料理が嬉しい海辺レストランで食べたカマンベール入りムール貝の白ワイン蒸し。フランスならではのチーズと魚介類の組み合わせもなかなか美味なのです。)
ノルマンディーは度々訪れているのですが、カマンベールの発祥地には今までご縁がありませんでした。そんな中、海を満喫した小旅の最終日、みんなで帰り道に立ち寄ってみようと「チーズ巡礼」をする機会に恵まれました。
(評判レストランの創作料理「ガレット包みのカマンベール入り豚足」。タルトタタンを思い浮かばせるオリジナルなプレゼンテーションで、セージ風味でキャラメリゼされたガレットと、そこに包まれた豚足の中にカマンベールを使用。調理されたこのチーズの風味と食感を絶妙な組み合わせで楽しませてくれる一品でした。)
(評判レストランの創作料理「ガレット包みのカマンベール入り豚足」。タルトタタンを思い浮かばせるオリジナルなプレゼンテーションで、セージ風味でキャラメリゼされたガレットと、そこに包まれた豚足の中にカマンベールを使用。調理されたこのチーズの風味と食感を絶妙な組み合わせで楽しませてくれる一品でした。)

フランスのベストセラー

今年のある統計によると、フランスの一人当たりの年間チーズ消費量は24キロで、25.4キロのギリシャに次ぐ世界2位だそうです。そしてベストセラーにカマンベール、コンテ、エメンタールなどの名が連ねられますが、その中でもカマンベールは長年フランス国民から一番愛されるチーズと言われてきました。日本でもすっかりお馴染みで、今では世界中で人気のあるカマンベールはノルマンディーにある同名の村で誕生しました。

一人の女性が生み出したチーズ

多くのチーズが自然と人間、そして時の流れの賜物であり特定した作者を持たないのに対して、カマンベールは一人の女性に由来されます。父親の住むマノワール(荘園)で働く農婦マリー・アレル(1761-1844)は、フランス革命後の1791年にそこで匿っていた司祭からお礼に彼の故郷の名産物ブリーの製法を伝授されます。彼女はこの白カビタイプのチーズをより小さいサイズに仕上げ、それにマノワールの所在地であったカマンベール村の名前が付けられます。

マリー・アレルと仏米親善

カマンベール村から約5キロメートルのところにあるヴィムーティエにマリーの立像が二つあります。彼女が亡くなったこの町は、今では世界最大の乳製品メーカーのひとつで多くのチーズも製造しているラクタリス・グループが工場を有する地です。
興味深いことに2像ともアメリカ人のイニシアティブにより立てられました。最初の像は、酷い消化不良に悩まされ、唯一食べることのできたカマンベールに命を救われたという男性が、マリーに敬意を表し1926年にヴィムーティエを訪れ、彼女の像を立てるために募金活動を行ったのです。このようにして誕生した像は「ノルマンディーの農婦たち」へ捧げられました。しかし、第二次世界大戦中にナチス・ドイツ軍の作戦妨害を目的に連合軍がヴィムーティエを爆撃した際に頭部を失ってしまいました。
戦後、大きな打撃を受けたフランスの復興にアメリカは経済援助を行うのですが、ヴィムーティエも例外ではありませんでした。そんな中、マリー像が再び米国人の支援を得ます。しかも今度は、名門マサチューセッツ工科大学のキャンパスの建築家ウィリアム・ウェルズ・ボスワースと、『風と共に去りぬ』の作者マーガレット・ミッチェルといった有名人たちでした。二人の呼びかけにより乳製品の大手ボーデン社が立ち上がり1956年に新たな像がヴィムーティエに寄贈されました。
 
このような経緯で、カマンベールとその生みの母であるマリーの存在は仏米親善にも大きく貢献していたのです。美味しい食べ物が海を越えて人々を結びつけた素晴らしい例ですね。

カマンベールとその成功の鍵

カマンベール製造はマリーの娘に引き継がれヴィムーティエの市場でも評判になります。そして鉄道でノルマンディーがパリと繋がった時代の1863年、ナポレオン3世がこの地域を訪れた際にマリーの孫がこのチーズを献上したという逸話も残っています。皇帝はこれを気に入り、以後カマンベールが定期的にパリに調達されるようになったというのです。

革新的包装

カマンベールの評判が更にフランス全国に広まると、その需要に応えるために遠方への輸送が必要となります。しかし、ベルベットのような白カビで表皮を覆われたこの小型の円盤形チーズは、中が柔らかく形が崩れやすいため輸送するのには非常にデリケートな品物です。この問題の解決策が革新的包装の発明でした。私たちが見慣れた伝統的カマンベールのあの筒状の木箱の発明は、このチーズがフランス国内に限られず、やがては世界中に広まる上で重要な役割を果たし、それまでの流通の常識を変えることとなるのです。
 
「ただの木箱を作り出すのに『発明』というのはオーバーでは?」と思われる読者の方も多いかもしれません。しかし、1887年にパリの商人により発明され、その後、産業化されたこの木箱は、実は驚くほど様々な要素を考慮した優れものなのです。
 
カマンベールの形に合わせた円筒形の箱は、無駄な空間を少なくし形が安定するのでチーズの変形を防ぎます。また積み重ねやすいだけでなく、構造的な特徴から外からの衝撃が加わってもその力が面全体均一して分散され、衝撃が角や辺に集中しやすい四角い箱よりも破損する可能性が低いのです。
 
箱の素材に選ばれたポプラの木は、特に通気性と湿度調整に優れチーズの熟成にも最適です。香りがチーズの風味を損なうこともないので理想的な環境でカマンベールの品質維持を可能にしたのです。ナチュラル素材を使ったデザインは高級感も与え、製造者がそれぞれのラベルをつけることもできるのでビジュアル面でも利点が多いのです。
(ル・ルスティックの美味しいカマンベールとその木箱。シンプルかつ洗練されたデザインがエフ アール マーケティングお取り扱いであるこのブランドの魅力を象徴しています。)
(ル・ルスティックの美味しいカマンベールとその木箱。シンプルかつ洗練されたデザインがエフ アール マーケティングお取り扱いであるこのブランドの魅力を象徴しています。)

カマンベール村

ノルマンディーの中心部に位置するカマンベール村は絵本から飛び出したような美しい田園風景に囲まれています。村の人口はたったの174人だそうで、世界で愛されるこのチーズを230年以上前にマリーがここで生み出した当時からそれほど変わっていないのではという印象を受けました。
丘の一本道を上ると村の中心にたどり着きます。そこには教会、町役所、そして18世紀に建てられたノルマンディーの伝統的農家からなる博物館「メゾン・ドゥ・カマンベール」が並んでいます。
博物館ではカマンベールの歴史から製造法などを学ぶことができ、週末以外は村内のカマンベール製造所も見学できます。
(マリーがカマンベールを作る風景を再現した館内の展示。)
(マリーがカマンベールを作る風景を再現した館内の展示。)
拝観後は、別館にあるショップでカマンベールの試食体験が待っています。
伝統的建築の本館とはコントラストに別館は、カマンベールの木箱をモチーフにしたなんともオリジナルなモダン建築です。こんな楽しい建物の中で試食させてもらった本場の味は普段に増して濃厚で奥深いものでした。
 
帰り道、カマンベール村の丘道を下りながらふと見ると、すぐ近くで一頭の牛さんが美味しそうに牧草を食べているではないですか。AOPカマンベールの原料となるミルクに欠かせないノルマン乳牛です。フランス種で一番タンパク質の高いミルクを誇り、目の周りの茶色い斑点が特徴で「メガネをした牛」という可愛い代名詞でも呼ばれます。
 
牛さんに一礼して、私はカマンベール村での素敵なチーズ巡礼を完了しました。
深作 るみ

京都生まれのフリーライター。夫と子供3人でフランス在住。