ダ・ヴィンチが晩年を『モナ・リザ』と過ごしたクロ・リュセ城

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世界一有名な絵画『モナ・リザ』にスープがかけられるというとんでもない事件がありました。この騒動を起した二人の環境活動家によると、「健康で持続可能な食べ物への権利」を訴えるための行動だそうですが、強化ガラスに守られ無傷だったことがなによりです。
『モナ・リザ』は、イタリア・ルネッサンスの天才レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の最高傑作と言われ、それを所蔵するパリのルーブル美術館、そしてフランス共和国が誇る至宝でもあります。
 
ダ・ヴィンチがイタリア人であるのになぜこの大傑作がフランスにあるのかを疑問に思われる方も多いのでは?実は彼、晩年期をフランス王国で過ごしているのです。イタリアから住居を移す際にそれまで肌身離さず持ち続けていた『モナ・リザ』を持ち込んでいるのです。
今回は『モナ・リザ』がその産みの親であるダ・ヴィンチと最後の3年を過ごした町アンボワーズのクロ・リュセ城をご紹介します。

アンボワーズ

フランス中西部のロワール川領域に広がる渓谷には、仏史を語る上で欠かせない多くの古城が存在し、美しい風景に恵まれたこの地域は「フランスの庭園」と呼ばれています。ユネスコ世界遺産に登録されている「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」のほぼ中央に位置するのがアンボワーズです。
政治の中心地がパリに移ってからも多くのフランス王たちが滞在したアンボワーズ城が所在する由緒ある町で、絶対王政を強化しフランスにルネサンスをもたらしたフランソワ1世(1494-1547)もその一人でした。芸術の保護者であった彼はダ・ヴィンチをフランスに招待し、王に仕える初めての画家、技術者・建築家として自分の居住城のすぐ近くにあるクロ・リュセ城に住まわせました。このようにして彼はここで生涯を終えることになるのです。
アンボワーズの城下町では、ダ・ヴィンチをモチーフにしたこんなお茶目な看板も見つけました。
(アンボワーズの城下町では、ダ・ヴィンチをモチーフにしたこんなお茶目な看板も見つけました。)

クロ・リュセ城

華やかな薔薇色のレンガが印象的なクロ・リュセ城は、15世紀に建てられフランス王の居住城となりました。フランソワ1世は自分が子供時代を過ごしたこの城に招くほどダ・ヴィンチを大切にしていたのです。
ダ・ヴィンチは、1516年の秋にここに到着するのですが、当時彼は64歳。一方フランソワ1世は、その前年に二十歳そこそこで王位についたばかりでした。現在の大学生の年齢だったフランソワ1世が人類史の中でも天才中の天才とも言われるこの偉大なる人物を自分の国に招く慧眼の持ち主であったことにも凄みを感じます。さすがの彼も、この時ダ・ヴィンチが携えてきた『モナ・リザ』がその後フランスの所有物となり、世紀を経て世界一有名な絵画になるとは想像もしていなかったのではないでしょうか?
フランソワ1世が臨終を立ち会ったという言い伝えをもとに描かれたアングル作の『レオナルド・ダ・ヴィンチの死』の複製も城内に飾られていました。
(フランソワ1世が臨終を立ち会ったという言い伝えをもとに描かれたアングル作の『レオナルド・ダ・ヴィンチの死』の複製も城内に飾られていました。)

大天才の晩年期

美しい自然に恵まれた広大な庭園のあるクロ・リュセ城で暮らし、フランソワ1世から惜しみなく支援を受けた晩年のダ・ヴィンチは芸術家としてだけでなく技師や建築家としても充実した日々を過ごしました。あのモナ・リザもここで完成させたそうです。クロ・リュセ城では、そんな彼の生活を垣間見ることができます。
ダ・ヴィンチの寝室とアトリエ。
(ダ・ヴィンチの寝室とアトリエ。)
広々とした厨房には立派な石造りの暖炉があり、冬の夜にダ・ヴィンチはここに温まりにきていたそうです。動物を愛し「節食、健康的な食物とよき睡眠が良好な健康を維持する」と唱えていた彼は菜食主義でした。彼が大切にしたマトゥリーナという名の料理人がこの天才の極まれた審美眼、時代を先取る発想や発明、そして無限な探究心の日常の糧となる食事をここで作っていたのです。
 
ダ・ヴィンチは菜食主義でもヴィーガンではなかったのでチーズは食べていたそうです。このことを知って、私は彼が晩年にアンボワーズで食べていたチーズについて想像を巡らせました。

シェーブル・チーズの背景にはこんな歴史が

アンボワーズが位置するユネスコ世界遺産の「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」は、サント・モール・ド・トゥレーヌ、セル・シュール・シェール、ヴァランセなどのAOPシェーブル・チーズに恵まれた地域です。
 
実はこれ、仏史におけるある事件が由来しているらしいのです。732年、スペインの大部分を支配し勢力を広めていたイスラム帝国がピレネー山脈を超えてフランスの先祖であるフランク王国を攻撃してきます。この時の侵入軍を撃退したのがトゥールとポワティエ間の戦いですが、その際にイスラム軍とともに食糧源となるヤギがこの土地に連れてこられたというのです。そして後にはヤギだけでなくその乳で作ったシェーブル・チーズの作り方も伝授されたとか。

サント・モール・ド・トゥレーヌ

アンボワーズ周辺で作られる名チーズといえばやはりサント・モール・ド・トゥレーヌです。サント・モールは6世紀の聖人で、彼女の聖遺物があったと言われる町で取り扱われていたことがこの名に由来するそうです。トゥレーヌという名称はアンボワーズが位置する旧州であるトゥレーヌ地方を指しており、「トゥレーヌのサント・モール」を意味する高貴な名前なのです。
 
このチーズの歴史は8世紀から9世紀まで遡るらしいので、ダ・ヴィンチがアンボワーズでこのチーズを食べていてもおかしくないですね。
筒形のチーズで、表面は木炭の粉で覆われ、そのまん中にライ麦の藁が通っているのが特徴です。これは型くずれを防ぐだけでなく、熟成課程でひっくり返すのにも便利というチーズ作りの知恵から生まれました。今ではこの藁がAOPの品質認証となりそこに生産者名や識別番号まで印刷されているのです。
 
中は白く口当たり優しい柔らかなシェーブルの味とともにほのかなナッツの香りがしますが、熟成が進むにつれて水分が減り風味も強くなります。

青空市場の豪華チーズ・トラック

ロワール川沿いに200店舗近くが並ぶ、この地域でも名高い日曜日の青空朝市に立ち寄りました。ここでどんなチーズと出会えるかとわくわくしながら行って見つけたのがロドルフ・ル・ムーニエのトラックでした。2007年に国家最優秀職人章を授与された同名の職人さんのもので、彼のチームは同年の国際チーズ・コンクールでも優勝。2年ごとに彼の地元のトゥール市で開催されるチーズと乳製品の世界選手権の創立者の一人でもあります。
 
この移動する豪華チーズ店のおすすめ商品をいくつか買って帰りました。それぞれ魅力いっぱいでした。
筒形のブシェット・ド・トゥレーヌは、塩味と酸味が効いたシェーブル。楕円形のブルビ・ロショワ・オ・タンはトゥレーヌ南部の羊乳から作られるフレッシュタイプのチーズで、タイムの香りがデリケートな仕上げ。しっかりした味わいのセル・シュール・シェールは全体的に引き締まった食感なのですが、中心は柔らかくメリハリが。牛乳で作られた丸いプチ・トローは白カビで覆われ、ブリア・サヴァランに似たなめらかなチーズでした。
天才ダ・ヴィンチが晩年にクロ・リュセ城で現地のチーズを賞味した時、思わず笑みをこぼしたのでは?その瞬間の彼の表情と世界が絶賛する『モナ・リザ』のあの神秘的な微笑みとの間に何か関連性があるのでは?そんなことを楽しく想像しながら味わうチーズもなかなか奥深く美味なものでした。
深作 るみ

京都生まれのフリーライター。夫と子供3人でフランス在住。