アステリックスの父、ルネ・ゴシニの爆笑チーズ

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46万6703人。これが現在上映中の『アステリックスとオベリックス 中央の帝国』の初日動員数です。国民的コミックスの実写映画シリーズ第5弾で、15年来のフランス映画の記録を塗り替えました。『アステリックス』は世界で一番売れている仏コミックスで、約110の言語及び地域語に訳され、1961年の初出版以来3億8000万冊以上の販売数を誇ります。何世代ものファンから愛される一種の現象でもあり、この国の人気テーマパーク「Parc Astérix」はディズニーランド・パリより長い歴史を誇り、主人公アステリックスの名前はフランス初の人工衛星にもつけられました。
(左/『アステリックスとオベリックス~中央の帝国』。今回の映画はオリジナル・シナリオで主な舞台は中国。ギヨーム・カネ監督が主役アステリックスを演じ、その他に彼の私生活上のパートナでもあるハリウッド女優マリオン・コティヤールや歌手のアンジェル、ラッパーのオレールサン、そして世界屈指のサッカー選手ズラタン・イブラヒモヴィッチなどの出演も話題です。右/私も家族勢揃いで見に行きましたが、その日は上映前にカネ監督の飛び入り挨拶があり大いに盛り上がりました。)
(左/『アステリックスとオベリックス~中央の帝国』。今回の映画はオリジナル・シナリオで主な舞台は中国。ギヨーム・カネ監督が主役アステリックスを演じ、その他に彼の私生活上のパートナでもあるハリウッド女優マリオン・コティヤールや歌手のアンジェル、ラッパーのオレールサン、そして世界屈指のサッカー選手ズラタン・イブラヒモヴィッチなどの出演も話題です。右/私も家族勢揃いで見に行きましたが、その日は上映前にカネ監督の飛び入り挨拶があり大いに盛り上がりました。)
アステリックスの実写映画は一種の国民的イベントで、4作目まで準主人公のオベリックスを演じてきたジェラール・ドパルデューを筆頭に、アラン・ドロンやカトリーヌ・ドヌーヴなど映画史に名を残す大俳優たちも過去に出演してきました。毎回旬のタレントを含む豪華キャストも目玉で、子供から大人までこぞってシネマに駆け付けます。
 
物語の中心舞台は現在の北ブルターニュで、古代ローマがフランスを中心とするケルト系先住民部族の地をガリアと称した時代です。ガリアはユリウス・カエサルに征服されローマの一属州となってしまいますがそんな中、アステリックスとその村落民が唯一抵抗を続けるという設定で展開する反骨精神あふれる面白おかしな話です。小学生低学年の児童も夢中で読むこの作品を子供向けと片付けてしまうのは間違いで、ダジャレの名前がついた登場人物たちが展開するストーリーの中にはラテン語、歴史的事実や現代社会のパロディや風刺など奥が深いです。大人でも完全に理解するには社会や流行まで多くの知識を必要とし、様々なニュアンスを楽しめる作品です。
 
ユーモア、機知と文化的知識に富んだこの『アステリックス』の原作者がルネ・ゴシニです。ヨーロッパで長年人気の西部劇コミックス『ラッキー・ルーク』、そしてフランスのちびまる子ちゃんとも言える『プチ・二コラ』の絵本などのストーリーも手掛けています。1977年に51歳で急逝したゴシニ亡き後もこれらの作品は引き継がれ、彼の死後50年近く経った今でも生き続けています。今回は、子供心を忘れないエスプリに満ちたフランチ・ユーモアの巨匠であるゴシニが描いた爆笑チーズを紹介したいと思います。
(左/パリのユダヤ芸術歴史博物館で開催された『ルネ・ゴシニ 笑いを超えて』展覧会のカタログ。タイトル文字の周りにも彼が命を吹き込んだ名キャラたちの存在が。中央/第二次世界大戦後、欧州コミックス界の中心的存在だったベルギー人漫画家モーリスの『ラッキー・ルーク』は、ゴシニとのコラボにより黄金期を迎えます。右/昨年亡くなった国際的仏人イラストレータ、サンペと生み出した『プチ・二コラ』も国民的キャラで実写版映画シリーズも人気です。)
(左/パリのユダヤ芸術歴史博物館で開催された『ルネ・ゴシニ 笑いを超えて』展覧会のカタログ。タイトル文字の周りにも彼が命を吹き込んだ名キャラたちの存在が。中央/第二次世界大戦後、欧州コミックス界の中心的存在だったベルギー人漫画家モーリスの『ラッキー・ルーク』は、ゴシニとのコラボにより黄金期を迎えます。右/昨年亡くなった国際的仏人イラストレータ、サンペと生み出した『プチ・二コラ』も国民的キャラで実写版映画シリーズも人気です。)

ルネ・ゴシニ

1926年パリでユダヤ系の家族に生まれた彼は、父親の仕事でアルゼンチンに渡り幸せな子供時代を過ごします。しかし第二次世界大戦中、南米にいた直接の家族はナチス・ドイツのユダヤ人迫害を逃れるものの、フランスに残った親戚が強制収容所で命を落とし、同時期に父親が急死するという悲劇を体験しています。人を虐げる悪人たちを不屈の精神とユーモアをもってこらしめながら希望と勇気を与えてくれるゴシニの快活なヒーローたちには、深い苦しみや悲しみを乗り越えた作者の人間としての大きさを感じさせるものがあります。
 
元々ゴシニも漫画を描いていたのですが、ずば抜けたユーモアと話づくりの才能が注目され、当時は新しい職業であったコミックスのシナリオ・ライターとしての道を開いていきます。そして漫画家アルベール・ユデルゾと出会い『アステリックス』が誕生するのです。

アステリックス・シリーズの表紙を飾ったチーズ

アステリックス・シリーズの表紙にチーズが登場する一冊があります。1970年に出版された『アステリックス ヘルウェティイの国へ行く』です。ヘルウェティイとは、現在のスイスを中心に居住していたケルト系先住民たちで彼らもガリアの一部としてローマの支配下に置かれていました。スイスと言えば、チーズのシンボルで絵文字にもなっている穴のあいたエメンタールの原産国としても有名ですが、ゴシニはこれを上手くストーリー中のネタとして使っているのです。
 
ある日、悪徳ローマ人知事の不正を暴こうとして毒を盛られた財務官の召使が助けを求めてアステリックスの村に現れます。解毒薬にエーデルワイスが必要なため、身体は小さくても頭が抜群に切れ如才ない戦士のアステリックスと、巨体の怪力男でありながら繊細で感傷的なメンヒル(巨石記念物)配達人のオベリックスがこの花を求めて冒険に旅立ちます。
(『アステリックス ヘルウェティイの国へ行く』の表紙ではスイス銀行の金庫の中でエーデルワイスの匂いをかぐ知能派アステリックスの隣でチーズの香りをかいでいる食いしん坊オベリックスの姿が笑えます。)
(『アステリックス ヘルウェティイの国へ行く』の表紙ではスイス銀行の金庫の中でエーデルワイスの匂いをかぐ知能派アステリックスの隣でチーズの香りをかいでいる食いしん坊オベリックスの姿が笑えます。)

古代ローマ流!?デカダンスのフォンデュ・パーティ

この作品の中ではスイスを征服したローマ人たちの退廃した姿とデカダンスそのものの生活態度が几帳面で清潔好きのスイス人たちと対照的に可笑しく描写されています。例えば、ジュネーブのローマ人知事は、スイスの郷土料理であるチーズフォンデュを用意してパーティーを催すのですが、フォンデュ用の鍋ではなく巨大鍋を皆で囲み全身チーズまみれになっても平気で戯れ続けます。その上に剣に刺したパンにフォンデュを絡める際に鍋の中にパンを落としてしまった者への罰ゲームには鞭打ちや重りをつけて湖に放り込むなど無茶苦茶です。
(破茶滅茶フォンデュ・パーティが登場する2ページ。右上が全身チーズまみれのローマ人たちの姿。装丁やコマ割りなどヨーロッパ風のビジュアル的特徴は日本の漫画や米コミックスともまた一味違います。フランスとベルギーの漫画は、正確にはバンド・デシネ(「描かれた帯」を意味し、英語のコミック・ストリップ相当)と呼ばれ、日本でも人気の『タンタンの冒険』シリーズのように基本的に一冊ごとにひとつのストーリーが完結します。)
(破茶滅茶フォンデュ・パーティが登場する2ページ。右上が全身チーズまみれのローマ人たちの姿。装丁やコマ割りなどヨーロッパ風のビジュアル的特徴は日本の漫画や米コミックスともまた一味違います。フランスとベルギーの漫画は、正確にはバンド・デシネ(「描かれた帯」を意味し、英語のコミック・ストリップ相当)と呼ばれ、日本でも人気の『タンタンの冒険』シリーズのように基本的に一冊ごとにひとつのストーリーが完結します。)

エメンタール

追われる身となったアステリックスとオベリックスはスイス銀行の地下金庫にかくまってもらいます。二人はローマ人がエジプトから略奪してきた財宝を隠す金庫を発見するなど、資産隠しに使われる世界有数のオフショア銀行国スイスの実情などが可笑しく作品中で描かれています。そこでお腹を空かした彼らがもらったのがエメンタールでした。
 
エメンタールは牛乳で作られた最大級の円盤形ハードタイプチーズで、チーズフォンデュにもよく使われます。直径は最大1メートル、重さも120キロのものまであります。内部にチーズ・アイ(目)と呼ばれる穴が沢山あいているのが特徴です。フランス製グリュイエールやオランダを代表するゴーダなどにも穴があることがありますが、これらに比べてエメンタールの穴は数だけでなくサイズもずっと大きく直径数センチになるものもあります。
(左/行きつけのチーズ屋さんでは大きなエメンタールの塊を上下半分に切ったものを店頭に並べ、そこから更に小さく切って売ってくれます。たくさんあるチーズ・アイの大きさもXLサイズです。右/メトロ駅で見つけたエメンタール・ド・サヴォアの広告ポスター。このフランス産エメンタールは直径約75㎝とスイスの物より一回り小さいとはいえ、これを見るとその巨大さがよく分かります。)
(左/行きつけのチーズ屋さんでは大きなエメンタールの塊を上下半分に切ったものを店頭に並べ、そこから更に小さく切って売ってくれます。たくさんあるチーズ・アイの大きさもXLサイズです。右/メトロ駅で見つけたエメンタール・ド・サヴォアの広告ポスター。このフランス産エメンタールは直径約75㎝とスイスの物より一回り小さいとはいえ、これを見るとその巨大さがよく分かります。)

穴を食べさせられる羽目になったオベリックス

大食いで偏屈なところもあるオベリックスはエメンタールが穴だらけなのに騙された気分にでもなったのか「穴のあいていないチーズに変えてもらう」とか「山を探しにきたのに地下で穴を食べさせられる羽目になった」などと文句たらたらです。「穴を食べる」というのが何だか禅問答のようで、ゴシニの世界に哲学的なものすら感じますが、このチーズの穴は、ただの空洞ではなくエメンタールの大きな魅力でもあるのです。

チーズ・アイの謎解明

なぜチーズに穴ができるのか?長年の研究により解けた謎はバクテリアにありました。これが二酸化炭素を発し発酵過程で泡となり固まり穴が形成されるのです。更に牛乳を搾る段階で容器の中に混じれた干し草の微粒子がこの現象を促していたことも判明しました。
 
現在の科学技術では、穴なしエメンタールを作ることが可能になっただけでなく、搾乳機の導入や衛生環境の向上により干し草の微粒子が牛乳に混じることが無くなってきたのに伴い、このチーズの穴自体が減っているとのことです。しかしエメンタールの穴は人々が親しみをもって見慣れた外見だけでなくその口触りにも関係しています。「穴なしエメンタール」なんて矛盾していて、それではこのチーズの魅力が半減してしまうとご心配の皆さまご安心を。最近では搾乳後牛乳にわざわざ干し草の微粒子を加える場合も少なくないようで、エメンタールから穴が消えることはなさそうです。
(穴があってこそエメンタール!チーズ・アイには、造形美すら感じさせられます。)
(穴があってこそエメンタール!チーズ・アイには、造形美すら感じさせられます。)
この冒険話も無事ハッピーエンドを迎えますが、フランス文化に大きな影響を残したゴシニの手によりチーズは『アステリックス』でこれほど可笑しくオリジナル、かつ哲学的とさえ言える形でバンド・デシネの世界でも大活躍していたのです。
 
食べるだけでなく、見て読んで楽しむチーズもなかなか味のあるものですね。
(左/2020年にゴシニの銅像が誕生。パリで初めて漫画関係者に捧げられたもので、台座にはゴシニの名前を筆頭に「バンド・デシネを『第9の芸術』の地位まで昇格させたすべての者へのオマージュ」と記されています。手の平の上のアステリックス、肩に座るプチ・二コラ、そして足元に並ぶラッキー・ルークの姿が愛らしいです。右/パリ市内のルネ・ゴシニ通りには、ファンなら誰もが知る彼の名台詞の吹き出しが所々にあります。写真のものは、ローマ兵たちを怪力でぶっ飛ばすのが趣味のオベリックスの口癖、「クレージーだぜ、こいつらローマ人たち!」。)
(左/2020年にゴシニの銅像が誕生。パリで初めて漫画関係者に捧げられたもので、台座にはゴシニの名前を筆頭に「バンド・デシネを『第9の芸術』の地位まで昇格させたすべての者へのオマージュ」と記されています。手の平の上のアステリックス、肩に座るプチ・二コラ、そして足元に並ぶラッキー・ルークの姿が愛らしいです。右/パリ市内のルネ・ゴシニ通りには、ファンなら誰もが知る彼の名台詞の吹き出しが所々にあります。写真のものは、ローマ兵たちを怪力でぶっ飛ばすのが趣味のオベリックスの口癖、「クレージーだぜ、こいつらローマ人たち!」。)
深作 るみ

京都生まれのフリーライター。夫と子供3人でフランス在住。