ナポレオンと美食文化

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ナポレオン・ボナパルト

ナポレオンと美食文化

今年フランス中で話題となっている人物が、没後200周年を迎えた皇帝ナポレオン1世こと、ナポレオン・ボナパルト(1769-1821)です。ナポレオンにちなんだ様々な展覧会や記念イベントがフランス各地で開催されています。

没後200年を記念した「ナポレオン」展は、普段は一か所で見ることのできないナポレオンの遺品や有名オブジェが揃う、最新の歴史的観点からの解説も勉強になる充実した大展覧会です。

また、ナポレオン軍を再現した大掛かりなイベントが各地で開催されました。フランス全国、そしてヨーロッパ各国からも集まった年齢層も多様な数百人の熱狂的ナポレオン・ファンたちが、その時代の優雅な軍服などを着てそれぞれの役になりきり、野営テント生活まで再現します。歩くナポレオン辞典のような人々の集まりで、このようなサブカルチャーがフランスに存在していたとは、目から鱗でした。

ナポレオン展(左/「ナポレオン」展を開催中のパリのラ・ヴィレット会場。中央・右/ナポレオン軍の再現イベントでは、迫力ある馬や大砲も使ったデモンストレーションだけでなく、コスプレ・ファンも真っ青になりそうな完璧なロールプレイと情熱にも、ただただ脱帽でした)

賛否両論に分かれるナポレオンの評価

ナポレオンは軍事の天才でフランスの領地を広げたカリスマ的リーダーだっただけでなく、フランス革命後、近代国家の基盤を作るという大きな実績を残しました。世界初の近代法典であるフランス民法典(別名ナポレオン法典)、教育システム、地方の行政組織など、ナポレオンの功績は今でも国民の生活に深く関わり続けています。また、パリの街並みを見渡しても、ナポレオンの遺産はあらゆる所に見つけることができます。凱旋門や国民議会議事堂のブルボン宮殿のファサード、リヴォリ通りなど、フランス帝国の都を世界一美しくするために彼が建設させたものです。

その反面、独裁者で無謀な遠征のために莫大な犠牲者を出しただけでなく、女性の地位を従属的なものとし、奴隷制度を復活させたことに対する批判の声も強く、フランス国内でもナポレオンへの評価は賛否両論に分かれています。

天才トレンドセッター、ナポレオン

そんな中、トレンドセッターとして自身とフランスのイメージにブランド的価値をもたらし、それらを活用する彼の天才的能力も注目されています。

この秋パリのサザビーズで、ナポレオンの愛用品でシンボルとも言える二角帽子が競売にかけられ、120万ユーロ(11月現在の為替レートで約1億5700万円)で落札されました。もっと庶民的なレベルでは、フランス各地のお土産屋さんで必ずと言っていいほど見かける数々のナポレオン・グッズ。死後2世紀たっても彼の人気と話題は絶えず、その経済波及効果にも驚くばかりです。

三角帽子のナポレオン・グッズ(フランス中のお土産屋さんで見かける二角帽子のナポレオン・グッズ。)

自身は特に芸術や美術に興味を持っていなかったものの、それらの価値と人々に与える影響を理解し、存分に活用しました。革命で没収された自国の宝物や敵国から戦利品として奪った傑作品を集め、前代未聞のコレクションで世界初の公立美術館であるルーブル美術館(当時の名前はナポレオン美術館)を設立したのも彼でした。

料理に関しても同じことが言えます。ユネスコの無形文化遺産に登録されている仏料理の基礎がルイ14世の宮廷で確立されたのであれば、「美食文化」をヨーロッパ中に知れ渡るフランスの「ソフトパワー」にすることに成功したのがナポレオンでした。国が誇る高級食品を使用した洗練された料理とその華やかなプレゼンテーションで相手を魅了し、自己の目的を達成するという戦略です。ナポレオンが第一統領、そしてその後に皇帝として活躍した時代(主に1800年から1815年まで)は、美食史、そしてチーズ史の中にかけがえのない足跡を残したのです。

ソフトパワーの美食文化

ナポレオンは美食に興味をもたず、戦時中は乗馬状態のままでも食事を済ませ、通常でも昼食は10分以内で、夕食に20分以上費やすことはほとんどなかったと言われています。料理も凝ったものは好まず食べる順番などお構いなしで、行儀や汚れにも無頓着。ソースものも無造作に手で食べたりしていたそうです。

しかし美食の重要さとその可能性を理解し、政府中の美食家二人に盛大な晩餐会を頻繁に催させ、国内外の名士や有名人を接待するよう指示しました。この役に選ばれたのが「統治の大部分は食卓上で行われる」という言葉を残した帝国大書記官のカンバセレスと、「よい料理人を手配していただければ、好条約を結びつけます」と断言した外務大臣のタレーランです。

このタレーランの料理人となったのが「シェフたちの王様で王様たちのシェフ」と称賛されたマリー=アントワーヌ・カレームです。ナポレオンにも仕えた彼は、後の英国王ジョージ4世、ロシア皇帝アレクサンドル1世やオーストリア皇帝フランツ1世のシェフも務めます。

ナポレオン政下に誕生したセレブリティ・シェフと美食評論家

カレームの子供時代に起こったフランス革命で多くの貴族たちが消え去り、雇い主を失った一流料理人たちがレストランを開きます。つまり以前は貴族が独占していたグルメ料理に、代金さえ払えば平民でも手が届くようになったのです。このようにして美食文化はフランス社会の様々な層にも浸透し、そこで一躍有名になったのがセレブリティ・シェフの走りであるカレームです。ちなみに、コック帽を開発したのも彼です。

また、「ガストロノミー(美食)」という新語が作り出されたのもこの時代です。そしてこの言葉を広めたのが、カンバセレスの晩餐会の常連客で、「美味礼賛(味覚の生理学)」の著者である元祖美食評論家のブリア=サヴァランです。

ヴァランセ

タレーランはナポレオンの援助を得て購入したヴァランセ城にカレームを同行させ、そこを美食外交の拠点とします。

チーズ好きが「ヴァランセ」という名前を聞いて連想するのが、天辺の無いピラミッドのような形をした同名のAOPチーズです。

ナポレオンが好んだチーズのひとつとも言われています。エジプト遠征に失敗した彼がその苦い体験を思い出させるチーズの形に腹を立て、その最上部をサーブルで切り落としたという伝説は、タレーランのこのヴァランセ城が舞台になっているのです。

ヴァランセ(ヴァランセはフランス中央に位置するベリー地方のシェーブルチーズです。表皮にまぶしてある木炭粉が山羊乳独特の香りを抑え、ほのかなナッツのような香りがするやさしい味が特徴。熟成が進むにつれて黒っぽい外皮の色が薄くグレーになり味も濃厚になります。)

もう一人のトレンドセッター、ジョゼフィーヌ

ナポレオンの最初の妻であったジョゼフィーヌは、抜群のセンスを持つ社交会の華で、ファッションだけでなく、現在に通じるフレンチの料理と食器のプレゼンテーションやテーブルセッティングなどを含む「アール・ド・ラ・ターブル(食卓の芸術)」の流行をつくったもう一人のトレンドセッターでした。

贅沢好きで浪費家であったジョゼフィーヌにナポレオンが頭を痛めた話は有名ですが、彼女がもてなした数々の豪華絢爛な食事会のために年間約5万個のチーズが購入されたという記録もあるそうです。

ジョゼフィーヌ(左/一時はナポレオン政治の中心地でもあったパリ郊外にあるマルメゾン城。ジョゼフィーヌによる優雅な晩餐会でも有名でした。中央/皇后時代のジョゼフィーヌ。右/料理や美術にあまり興味を持たなかったナポレオンですら大切にしていた「皇帝ご専用の食器」の一部。これらに見られる鮮やかな色合いでエジプトのモチーフなどを取り入れた新スタイルに宮廷の食器を一新させ、その流行をつくったのもジョゼフィーヌでした。)

そしてフランス・チーズの名声がヨーロッパ一に

ナポレオンの失脚直後、ヨーロッパの秩序再建を目的に1814年から開催されたウィーン会議に、タレーランがフランス代表として参加します。そこにスターシェフのカレームを同行させ、ここでも各国の代表たちを仏料理で魅了します。

会議は翌年まで続きますが、1815年のある晩餐会でヨーロッパ一のチーズはどれだという会話になります。これをきっかけにヨーロッパ各国から約50個のチーズが集まった中、全会一致でブリーが「チーズの王」に選ばれます。以後、チーズ王国フランスの名声は不動のものとなります。

この栄光を勝ち取った名グルメ外交官タレーランですが、名門貴族の出であるにも関わらずフランス革命では死を逃れ、ナポレオンの失脚後も上手く世の中を渡り続け、「タレーランが唯一裏切ることのなかった君主はブリーチーズだ」と陰口をたたかれていたそうです。

ブリー・ド・モー(ブリー・ド・モー。ブリーチーズと言えば、同じくブリー地方発祥のもうひとつのAOP、ブリー・ド・ムランも有名ですが、ウィーン会議でヨーロッパ一のタイトルを見事獲得したのはこちらです。直径が36~37センチもあり重さも2.5~3キロと、白カビタイプのチーズでは格別の大きさのその堂々たる姿も「チーズの王」と呼ばれるのにふさわしいです。)

ナポレオンが好んだもうひとつのチーズ

ウィーン会議で第二位に選ばれたのが、ナポレオンが好んだと言われるもうひとつのチーズ、エポワスです。

ブルゴーニュの地名が名前となったこのウォッシュタイプのAOPチーズの特徴は、ぶどうの蒸留酒マールで洗って熟成されるという贅沢な製法です。

美食からは程遠いナポレオンがこの複雑なグルメチーズを愛したというのも興味深いですが、エポワスの産地のもうひとつの特産物で、出会って以来一生ご贔屓だったシャンベルタン・ワインと、なるほどよく合うのです。

その後、大御所美食家のブリア=サヴァランも「チーズの王様」と絶賛したエポワスは、独特な魅力を持つフランスの個性派チーズとも言えます。

エポワス(エポワスの強い臭いを苦手とするのはフランス人でも少なくありませんが、口に運ぶと、濃厚でコクのある何とも洗練された複雑な味がクセにもなる「大人のチーズ」の極みです。熟成が進むとオレンジ色の皮は赤レンガ色に変化し、中もいっそうトロリとなります。)

現在も活躍する美食パワー

「もしナポレオンがその天才的才能を料理に生かしていれば、人類はより幸せになるはずだ」

これは、この時代のもう一人の元祖美食評論家、グリモ・ド・ラ・レイニエールが残した言葉です。

確かに生存中、ナポレオンは美味しい料理を楽しむという純粋な喜びのために自分の才能を生かすことはなかったかもしれません。しかし没後200年たった今でも、彼の下で花開いたフランスの美食文化はソフトパワーとして活躍し続け、世界中の人々を魅惑してやみません。

そしてフランスのチーズ・パワーもますます健在です。

ウズベキスタンのフランス大使館(左/先月、夫が出張で訪ねたウズベキスタンのフランス大使館で、「Goût de France(フランスの味)」キャンペーンの挨拶をするオーレリア・ブーシェ仏大使。右/直後のチーズとワイン試食パーティーで大使を囲んだ笑顔の一場面。)
深作 るみ

京都生まれのフリーライター。夫と子供3人でフランス在住。