「ノートル=ダム・ド・パリ」
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4月15日に800年以上の歴史を誇るパリのノートル=ダム大聖堂が炎上し、大損害を受けました。
数ヵ月たった今、フランス文化と歴史の象徴でもあるこの世界遺産の再建に向けて様々なストーリーが新たに生まれつつあります。
大聖堂と小説
国家非常事態に陥った時、フランス人は文学に慰めやインスピレーションを求める傾向があります。
大聖堂火災の直後、フランス・ロマン主義作家ヴィクトル・ユゴー著の「ノートル=ダム・ド・パリ」がAmazonの売上トップとなり、同小説の最新版が在庫切れとなりました。
パリの書店の間でも、売上の一部を大聖堂の復興に向けて寄付するという動きが生まれました。
映画やミュージカルの影響もあり、「ノートル=ダム・ド・パリ」は一般的にもよく知られていますが、実際の本は700ページ近くに及ぶ長編で、アニメ版とは異なる人間ドラマが展開されます。
今回、私も読み直してみたのですが、偉大な大聖堂に畏敬の念を抱いた大文豪の魂に触れることができたような気がしました。
ノートル=ダム大聖堂はただの舞台背景ではなく、登場人物たちの人間模様を見守る主役的役割を果たしていたのです。
フランス革命後、パリでは多くの建築物が壊され荒廃状態にありました。
ノートル=ダム大聖堂も例外ではありません。無残な姿で朽ちていく現状を嘆いたユゴーが、大聖堂のかつての栄光時代であった中世を舞台にしたこの作品を発表したのが1831年。
フランス国民に大聖堂の歴史的そして精神的価値を訴え、1843年に開始した修復工事に貢献したことは確かです。
「ノートル=ダム・ド・パリ」の中のチーズ
「ノートル=ダム・ド・パリ」を読んでいると、ふと、チーズについて語っている面白い一文を見つけました。
「どんなに美しいアレクサンドラン韻文も、歯の下ではブリー・チーズの塊の価値にはかないません。」
作中で、詩人グランゴワールが聖職者のフロロに言います。
美食家(グルメ)と言うよりも大食漢(グルマン)だったユゴーは、美味しいものを素直に喜ぶ人だったのでしょう。
細やかなどこぞの有名チーズの描写より、「ブリー・チーズの塊の価値」という、なんともリアルで生々しい表現が美味しそうだと感じたのは私だけでしょうか?
自分自身が詩人でもあった著者が、作品中の詩人に快活な花より団子論を説かせるところが、生身の人間としてのユゴーの魅力なのです。
大食漢、ユゴー
ユゴーは恐るべき大食漢でした。
文芸評論家・小説家のシャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴが、
「博物学において有名な3つの偉大なる胃袋が存在する――カモ、サメ、そしてヴィクトル・ユゴーである」
と、語ったといわれるほどです。
政治家のエドゥアール・ロクロワは、オマール海老は殻ごと、オレンジも皮ごと豪快に食べるユゴーに面食らっています。
「彼(ユゴー)の家でほとんど毎晩ご馳走になった後、未だに胃痛に悩まされている。3時間ダイニングテーブルにとどまり(中略)その後、サロンに移ったかと思ったら、40分後にはダイニングルームに戻り、水割りシロップやケーキがサーブされる。」
と、回想録に綴り、ロクロワのうろたえる姿が目に浮かぶようで可笑しいです。
フランス上院とユゴーの関係
ユゴーは政治家でもありました。1876年から亡くなる1885年まで上院議員を務めました。
マクロン仏大統領は5年で修復工事を完成させる指針ですが、ユゴーが活躍した上院でもノートル=ダム大聖堂の再建に向けて討論が白熱しました。
歴史を重視し元々の形状に忠実に復元するか、現在の時代的解釈を含めるか。建築素材も再現するべきか、それとも最新技術を反映すべきかなど、数々の点が討議されました。
結局、上院はノートル=ダム大聖堂の再建を元々の形状で復元する法案をまとめました。
フランス上院の議員専用レストランを訪れる機会があったのですが、食事をしながら、もしユゴーが生きていれば上院議員としてどのような行動をとっただろうかと会話に花が咲きました。
上記レストランのチーズ・プレート。ユゴー好みの質を重視したシンプルで魅力的な内容でした
(時計回りでカマンベール、クロミエ、ブルー・ドーヴェルニュ、コンテ、シェーブル、カンタル)
今も引き継がれるユゴーの精神
世界をリードするフランス大企業や経営者から莫大な寄付が既に集まり、仏メディアは寄付総額8億ユーロに達したと報じています。
このような歴史的悲劇からもフランス人の文化を重んじる精神、そして驚くべし動員力が顕れています。
文豪、政治家、大食漢と多様な顔を持ったヴィクトル・ユゴーですが、彼が「ノートル=ダム・ド・パリ」を世に出してから188年。2世紀近くたった今でもこの名作が人々の心に響き、人々を動かす力を備え続けているという事実に深い感動を覚えます。