食べることと 食べないこと ―  ヨム・キプール(Yom Kippur)の一日

フランスからの便り 2010~ : UPDATE /

ユダヤ教徒の親戚と一緒に

夫の実家、親戚はみなフランス人ですが、私と夫の日仏カップルを除き、見事なまでにユダヤ教徒×カトリック教徒の組み合わせの夫婦ばかり。
義母はユダヤ系、義父はフランス人の大多数をしめるカトリックの家に生まれ育っています。
そんなわけで、夫の実家ではクリスマスやイースターも集まって祝えば、ユダヤ教の祝祭日も祝います。
先日、9月8日はユダヤ系フランス人義母の家に親戚一同集まって食事をし、ユダヤ暦の新年の日である「ロス・ハシャナ(Rosh Hashanah)」を祝いました。
そして10日後の9月17日の金曜日と18日の土曜日の夜はやはり義母の家で、ユダヤ教の一番大事な休日のひとつで「贖罪の日」を意味する「ヨム・キプール(Yom Kippur)」を祝う会食でした。

パンにかけられたクロス
メノラー(Menorah)というロウソクたてが刺繍されています

ヨム・キプール(Yom Kippur)と断食

ヨム・キプールは、ユダヤ教のなかでは非常に大事な日です。
新年の日から10日間は「反省の10日間」と呼ばれていて、神に対して自分の行いを悔い改めることになっているそうです。
そして、ヨム・キプールの前の晩に食事をしたあとは、翌日の夕食まで、食事と水分を絶ちます。
この25時間の断食はトーラー(律法の書)にも書かれているのだそうです。

この一日断食は老若男女みなするそうですが、9歳以下の子供はしてはならないことになっているそうですし、妊娠中、授乳中の女性や病気療養中の人はしなくてよいそうです。
(参考サイト:http://judaism.about.com/od/holidays/a/yomkippur.htm) ※英語

母親の血筋でユダヤ教徒となるため、夫もユダヤ教の宗教教育を少年期に受けています。
しかし、「神は存在せず、科学的に証明されていないものは一切信じない」というどっぷり理系のITエンジニアの夫は、この反省の10日間に神に対しても、人に対しても全く反省した様子はありません。
そんな人ですが、食べることが、特に家族や親戚と集まってする食事が大好きなようです。
ですから、「ユダヤの祝祭」=「にぎやかで美味しい食事」と解釈して、嬉々として出かけました。
そして、ユダヤ教徒にとって大事なヨム・キプールの「一日断食」もお母さんのため、家族の和のために毎年行っています。

私はというと、結婚して9年ですが、この「一日断食」をしたのは今まで3回くらいでしょうか。
私はユダヤ教徒ではありませんので、この断食に宗教的な意味はありません。
だからといって家族揃ってうちにいる週末の土曜日に、夫ひとりがひもじい思いをしている様子も想像したくなくて、今回はトライしてみました。
しかし、後に書きますが、そんな簡単なことではなかったのです。

ヨム・キプール前夜の食事

ヨム・キプールの前日の夜、子牛のブイヨン、ブイヨンを作るのに使った子牛肉とズッキーニ、にんじん、ポアロねぎなどの煮野菜、そして詰め物をしたローストチキンという夕食をとりました。
義母によれば、女性なら雌鶏、男性なら雄鶏をたべることで、贖罪の身代わり、犠牲になってもらうという意味があると言います。

ローストチキン 鶏肉はユダヤ教の決まりによって処理されたカシャー(Kosher)のもの

話は逸れますが、この日に必ず食べる決められた食事というのはなくて、家庭によって違うみたいです。
デイアスポラで世界各地に散らばるユダヤ教徒、その土地、その土地の料理で、自分たちに合うものを取り入れて言った結果、ユダヤ料理はひとくくりにできるものではありません。
ユダヤ料理本の中にはさまざまな国、地方の料理が載っています。
豚肉や海老、蟹など多くのユダヤ教徒が食べないもの以外は、住む土地の料理を食べていたのでしょう。

ローストチキンのおなかに詰めたファルシ
子牛のレバー、ピスタチオ、りんご、ゆで卵が入って滋味豊か

断食の始まり

さて、写真のようなヨム・キプール前夜の食事を終えました。
帰宅後はすぐ就寝。次の朝、いつもなら、キッチンへ直行して、ティーポット一杯のお茶を飲む私ですが、ぐっとこらえて、歯磨き、シャワー。その後、子供たちの朝食を用意して、食べさせます。
9時に日本語塾に行く娘を見送り、11時に車で迎えにゆきました。
日本語塾のあるオペラ座近辺は日本、韓国食料品店がかたまってあり、毎週土曜日、塾への迎えのついでに買い物をすませています。

「朝食と水分抜きでも意外と元気に動けるわ」と思いながら、約束していた娘の靴を選びにトロカデロの子供靴の店へ。
そこでの買い物も済ませた私と娘はそのまま、トロカデロの義理の両親宅へ寄りました。
断食をしない娘たちの昼食ために、昨日の残り物のチキンを取りにきたらという提案でした。

靴を買ったことを自慢する娘に、義母が一言。
「ヨム・キプールの日は、買い物などはしないのよ。来年からはしないように。」
「あっそうでしたか。分かりました。」と私。
返事は素直に、提案には従うのが、姑と仲良くする万国共通の基本ですね。

断食以外にも決まりがあるようで

帰宅後、インターネットで見てみたら、このヨム・キプールの断食中は、夫婦で愛し合うことも、シャワーや歯磨きも、革靴を履くことも(!?)しないそうです。
もちろんどのくらい厳格にするか、または全くやらないかはユダヤ教徒であっても個人の自由です。
靴を買ったから姑に注意されたわけではなく、戒律を守る人も守らない人も、ユダヤ教徒と家族など周りの人は一日静かに過ごす習いなのです。
義母やその兄弟は断食をし、午後シナゴーグ(会堂)へお祈りにいきました。
(参考サイト:日本ヘブライ文化協会)※日本語

シナゴーグの祭壇 従弟のバミツバ(13歳ユダヤ教の成人式)にて

断食するとどうなるの ― 私は生きる死人?

一日断食の日、午後の早い時間に帰宅した私は、娘に昼ごはんを食べさせました。
その後、だるいとような疲れたような、物憂い感じになって、ベッドにごろり。
口の中も何か変な味がします。
唾液で常に潤う口の中が、軽い脱水症状でからからに乾いていたからだと思います。
それからは、どんなに子供が大きな声で遊ぼうと、私の寝転ぶベッドの枕元で騒ごうが、動けません。
半分覚醒して、半分寝ているような状態で2時間は過ぎていったと思います。
起きようとするのに、体が動かない、ちょっと金縛りみたいな状態でした。
やっと起きて、洗面所の鏡をみたら唇は灰色、顔も灰色でした。

人間は食べなくても数週間生きられるそうですが、水は2、3日飲めないともうだめだそうです。
このユダヤ教の断食は、食事を中心とした普段の活動を一日やめることで、精神的に落ち着いて祈り、反省することを目的にしているのだと理解しています。
確かに、エネルギーが消化、吸収に使われないので、精神的な活動に向いた体の状態になりやすいのかもしれません。
午前中、娘の塾の迎えや買い物など移動も多く、身体的活動にエネルギーを使い果たすという愚行をしてしまった私が、落ち着いた気分を感じられたのは朝のうちだけで、午後はゾンビ状態になってしまったのでした。
「断食中は外出していた方が気がまぎれていい」作戦、大失敗です。

そしてヨム・キプールの夜

今年の断食明けは午後8時45分だったらしく、8時46分に義母宅に着いたら、まだ学生で親と一緒に住んでいる一番下の義理の弟が、クスクスでできた揚げ菓子を手にもって、むしゃむしゃと食べながら、出てきました。

レーズンやアーモンドの入ったパン

シナゴーグから義母が戻るのを、そして、他の親戚が集まるのを待ちながらの20分ほどの長いこと。
義母宅に集まる親戚一堂、みな目の下にクマをつくって、そしてテーブルに並ぶ揚げ菓子、レーズンやアーモンドの入ったパン、ジャム、コーヒーのたっぷり入ったポットをぎらぎらと見つめます。
断食明けはこのような甘い朝食のような食事から始め、後にタピオカ入りチキンブイヨンスープ、茶色になるまで炒めた玉ねぎと鶏肉のグラタンをいただくのが、義母の家の習慣です。

はちみつがかかった揚げ菓子、上はクスクスを使ったマクロード(Makroud)、下は葉巻の意味のシガール(Cigar)、小麦粉の皮の中はアーモンドパウダーの餡

飢えた狼ならぬ、25時間飲食をせず飢えた人はちょっとだけ品とマナーをなくすようです。
いつもは上品な大叔母がコーヒーをずっとすするのをみたり、叔父の手元がくるって、カップが傾き、コーヒーがこぼれかけたりというたわいもないことなのですが。

さてシナゴーグから帰宅した死人のような顔色をした義母は、お水だけ飲んだら部屋に行って休んでしまいました。
ヨム・キプール前の2、3日間、義母は、買い物から、料理、お菓子の準備まで大忙しだったので、その疲れもあったのでしょう。
一時間ほどしたら、部屋からでてきて食事していたので、問題なく回復したようです。
子供や妊婦が断食しなくてもよいなら、ある程度の高齢になったらしなくてよいんじゃないかと思うのは私のような部外者の勝手な意見です。

ちなみに、世界のユダヤ教徒の総人口は、ウィキペディアよると1300万人から1400万人いるそうです。
イスラエルとアメリカにそれそれ500万人超おり、フランスには50万人弱の国民がユダヤ教徒だそうです。
(ウィキペディア:ユダヤ人
フランスは大体6500万人の人口がありますから、ユダヤ教徒の人口に占める割合は1パーセント未満です。
そんなマイノリティのユダヤ教徒が、ヨーロッパや各地で現地の人との結婚で混血しながら、宗教という精神的な支柱を失わずにやってきたのは奇跡的でもあります。
自省的で哲学的な印象を受ける教義、家族の結びつきの強さ、子供への教育熱心さなど、何千年も続いてきたことには、いくつも理由が考えられます。
内面的な強さとしたたかさ、逆境に生きる知恵など、ここ十数年の経済的な停滞と、数年の政治的混乱にある日本人にも学べるところがありそうです。
しかし私が、義母の家から一番見習いたいと思っていることは、毎日の夕食は必ず家族で食卓を囲んで、同じものを食べるというあたりまえのような行為です。
そこさえ守れば、夫婦、親子の結びつきはしっかりしたものを保ちやすいように思えます。

約一年間続いたこのコラムですが、今回でいったん終了します。
当サイトを訪れて、このコラムを読んでくださった皆様、ありがとうございました。
また近々どこかでお会いしましょう。

五条ミショノウさやか

2004年からパリに在住。 家族は夫と娘が二人。 業界誌や講演録などの英日翻訳をしています。